信じること

女優の芦田愛菜ちゃんが先日「信じること」について思いを語った。その内容の深さに皆驚嘆しきりである。

聞けば、小さい頃からの読書量が半端なく、本人の生来の能力も相まって、16歳とは思えない思考力を身に着けたのであろう。そして、その考えをあのように落ち着いて、皆の前で表現できるのも彼女の才能なのであろう。

『受け止められる揺るぎない自分がいることが信じられること。しかし、揺るぎない自分を持つことが難しい。』

彼女のこの言葉には、私なりの答えがある。

    揺るぎない自分がいるとは、人を愛することができるということ、

    従って、「信じる」とは「愛する」ことである。

    (ただし、ここで言う「愛」とは男女間のloveではない。)

我々は皆異なる。その違いを認め、自分の型にはめずに相手をリスペクトする。しかし、相手は自分を必ずしもそのようにリスペクトしてくれず、攻撃してくるかもしれない。それでも、その人がそうするのは、その人がただ自分を守ろうとしているだけなのだということを理解し、その人を優しい気持ちで見てあげることができるか、リスペクトし続けることができるか、こうして「揺るぎない自分」が試されるのである。それは、その人を愛することである。そう、そしてこれを実践することが実に難しい。人間とは、そういうものである。

私には彼女の様な才能がないので、うまく自分の考えを表現することができない。